日本の歴史を、ウジ社会とイエ社会の2つの波動を通して見てみます。
弥生時代からウジ社会が始まり、天皇ウジを中心とするウジ連合国家が、隋、唐などの海外文化の影響を受け、大化の改新などを経てウジ社会はピークを迎えます。律令国家の成立に伴って、ウジ社会の支配層を形成していた大ウジは解体され、経営基盤としての人民、土地、軍事力を失い、律令国家の官僚として俸禄を得るようになります。これによってウジ社会は衰退期に入ります。
一方、11世紀に東国武士団によってイエ社会の原型が作られ、鎌倉時代から江戸時代にかけてイエ社会が発展していきます。明治維新を迎えて西洋の産業文化の影響を受け、近代国家への道を進みながら、イエ社会は衰退期に入ります。
ウジ、イエどちらのサイクルとも、まず原始的な核となる主体(原ウジ、原イエ)が生まれ、ある程度連合して原ウジ連合体、原イエ連合体となります。そしてそれを超えて、より高度な複合・統一形態である、大ウジ、大イエが現れ、さらにそれらが連合体を形成して大ウジ連合国家、大イエ連合国家を形成していきます。このように、2つのサイクルとも同様な段階を踏んで発展していくのです。
どちらのサイクルについても、次の段階では強烈な外来文化の影響によって一挙に主権的統一国家が形成されます。7世紀には律令化とそれによる律令国家が、19世紀には近代化とそれによる近代国家が、大規模統一国家の形成という形でそれぞれのサイクルのピークを作りだしました。
『文明としてのイエ社会』村上泰亮他 参照
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