産業化が発展するにつれ、財閥企業が成長し、農村の地主制が発展します。
大商人の準イエは、経営体として大規模化すると共に、親族集団と経営体とが分離し始め、主家の家計と店の経理は分離していきます。奉公人が主人の親族となる道は狭くなり、主人と奉公人が苦労を共にする機会も減っていきます。
しかし、その過程で強調されたのは、主従間の異質性ではなく、両者の親和関係であり、主人の仁愛と奉公人の忠誠でした。「奥」と「店」(所有と経営)の分離が進み、イエ経営体の大規模化を補完するために、イエの帰属感はかえって強調されていくのです。
大正、昭和初期にかけて、このような背景のもと、経営効率を向上させるために、企業内の人間関係の親和性を高める努力がなされた結果、企業一家主義、経営家族主義が生まれてきます。学歴と年功を基準とする序列、終身雇用制、新卒者の採用と企業内教育、企業内福祉制度などの、日本的経営と呼ばれるものです。これは、徳川期の大イエ型経営体を産業化に適した方向に組織革新したものとみることができます。
経営体の系譜性や結合力を保持しつつ、結びつきの機縁としての血縁制を大幅に払しょくした形で構築されたのもので、従業員の帰属意識を高め、忠誠心と自発性を発揮させることに成功しました。この日本的経営は、所有と経営の分離が進んでいない中小企業にも自然に受け入れられていきます。
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